置き去りにされた「子どもの権利」
それは、あまりに唐突でした。2月26日「文化イベントの自粛要請」、2月27日「小・中学校、高校、特別支援学校の全国一斉休校要請」。これによって、子どもたちの生活は、何が何だかわからないままに、3月1日から一変します。「新型コロナウイルス感染拡大防止」という大義の下、納得のいく説明もなく、意見や疑問を聞いてもらえる場もなく、頭ごなしに、学校を閉じられ、友達と会うことも外で遊ぶことも問答無用で制限されました。
楽しみにしていた春休みのおばあちゃん家への里帰りも、ゴールデンウィークの家族旅行も取りやめになり、年度末年度初めの、遠足やお楽しみ会や演劇や音楽を楽しむ行事・イベントも、すべてなくなってしまいました。修学旅行はおろか、卒業式や入学式までなくなってしまった子どもたちはどんなに悲しかったでしょう。
子どもたちが公園などで遊んでいると怒鳴られ、学校や警察に通報される例も聞かれました。武漢やイタリアでの感染拡大の状況からも、子どもたち同士の感染例はほとんどなく、子どもの重症化はごく稀と言われていたにもかかわらず、日本ではまず子どもたちが家に隔離されました。「子どもたちが感染を拡大し、高齢者の命を危うくする。」まるで、マラリアを媒介する蚊や、ペストを広げるネズミのような言われようで、子どもたちは日常生活を奪われました。
緊急事態解除にあたっても、政府やマスコミも子どもたちの「学び」の遅れは問題として語りますが、それは、もっぱら「学習指導要領の完全実施」つまり、予定していた授業の遅れを取り戻し、受験に間に合わせることが課題で、子どもたちの成長・発達を保障する視点から、「学ぶ喜び」や「学ぶ意欲」をどう維持・回復し、「学ぶ権利」を保障するかという議論にはなりません。学校再開後も授業時間数の確保のために一日の授業時間を増やしたり、土曜日に授業を入れたり、夏休みを短縮するなど、学ぶ権利よりも指導要領が優先され、子どもたちをさらに追い立てています。
ましてや、子どもたちの幸せな生活と成長にとって欠かせない「文化権」については、まったく無視されてきたのがこの間の経過です。
「子どもの権利」の保障は国際的な約束です
国際社会は、国連子どもの権利条約の第31条で「余暇・休息、遊び・レクリェーション、文化・芸術」が子どもたちの「権利」であるということを認め合い、日本もそれを国会で批准しています。
「権利」という言葉は、日本では、「権限」に近い「力」として語られ、「与えられるもの」「許されるもの」という理解がなかなかなくなりません。私も親や教師から、「権利主張は義務を果たしてからにしろ」だの、「子どもに権利はまだ早い」だのとよく言われました。しかし、私たちが条約として認め合っている「権利」は、誰からか与えられるものでも、あるいは特別に許されるものでもなく、人間だれもが生まれながらにして持つright=「正当なこと」です。なかなか理解が広がらないのですが、文化は子どもたちにとってなくてはならないという正当性、必要性を、条約によって認めあい、実現を国際的に約束しているのです。
感染拡大防止のために社会活動を制限するにあたって、ドイツの文化相は「芸術・文化は人間社会の生命維持装置」と表現し、失ってはいけないと手厚い補償を行いました。まさにドイツでは、芸術・文化は国民にとって「当然必要な」こと=権利なのだと示されました。
だから、税金を使って保護する。国民の権利を保障することが民主国家の役割だということがはっきり示されています。
子どもの今と未来にとって必要不可欠な「文化の権利」
子どもたちは、狭い意味の「勉強」だけでは豊かな成長を得られません。大人が決めたカリキュラムを子どもたちに注ぎ込めば、人間として育っていくという単純なものではないことは、誰もが分かっていることです。家族や友だちや、親せきや近所のお兄ちゃんおねえちゃん、おじさんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんと、出会い、蜜につながり、もみ合い、時にはぶつかり傷つけあって、自分や他人という人間を知り、その間にある関係を認識していきます。虫や草花や動物、山や海や川、そんな自然との出会いが、生き物である自分を実感させます。それは、子どもにとっては今を生きる「喜び」であり、豊かな人格の形成に必要な「学習」です。そして、子どもたちはそれを「遊び」の中でこそ有効に主体的に獲得していきます。
そんな出会いを、驚きや喜びをもって自らのものにしていく「好奇心」と「想像力」は、みずみずしい感性や意欲を保つために必要な心身の「休息」と、心穏やかに自分とゆったりと向き合うことのできる、何をしてもいい、何もしなくてもいい、子どもの自由裁量の時間と定義されている「余暇」なくしては育ちません。
そして「遊び」は「生活」の中で試され、蓄積され「文化」となってきました。さらに、その遊びが、訓練された体力や磨かれた技術、研ぎ澄まされた知性と感性によって、人の心を揺さぶるものとなって表現されるのが「芸術」です。
私たちは、子どもたちが人間として「今」を幸せに生き、「未来」に向かって心豊かに成長するために必要なことを、権利としてまとめた条文が31条だと受け止め、31条全体を「子どもの文化権」の条文と呼んでいます。
コロナ禍の中で侵害されてきた「子どもの文化権」の回復を
この視点からとらえると、この3月以降の子どもたちが置かれた状況は、緊急事態宣言の解除の後も含めてまさに「必要なこと」が奪われた、権利侵害の状況です。
楽しむべき「今」を制限され、向かっていく「未来」を保障されない。友だちから切り離され、遊びを奪われ、自習課題が山のように届き、オンラインが家の中にも入ってきて、自由な時間も無くなっていきました。大人たちは、何かおかしいと感じながらも、「命が大事」の言葉に脅され、口も重くなっていました。
そんな中Art.31と「子どもの権利条約31条の会」は協力して、こんな時にこそ、子どもの権利、とくに魂の健康と成長のために余暇、遊び、芸術文化の必要を説く31条の理解を拡げなければと、ワニブタの絵で興味と想像力を掻き立てる条約のガイドブックを発行しました。
そして、緊急声明「子どもの権利保障の観点から新型コロナウイルス感染症対策を―遊びと文化活動の保障をめぐってー」と題した声明を発表し、「学校の休校とともに、地域の子どもの居場所である児童館や冒険遊び場などの閉館・休止、子どもの生命をつなぐ場である子ども食堂の自粛要請・中止、子どもの遊びに関わるNPOの活動停止、鑑賞教室や地域文化団体・劇団主催の演劇・音楽など子どもの文化・芸術公演の中止・無期限の延期などが相次いでいる。」ことに警鐘を鳴らし、合わせて、子どもたちへの呼びかけをポスターにして子どもたちの目に留まるところに貼り出す運動を始めました。
今子どもたちに必要なことを探すためには、子どもたちと一緒に「今」を考えるしかないと思ったのです。「子どものことは子どもに聞け。」「子どもの声は聴くに値する。」「新しい社会は子どもたちとともに自分たちで作る。」それが、子どもの権利条約の基本理念です。
ガマン、している
でもやめない!
と、一人称で宣言しました。
自分の人生の主人公は自分であることを確認し合うために。